豊臣秀吉はその生涯で数多くの城を築き、居城としてきました。
しかし、それだけではなく、庭園も造っています。
しかも、基本的な設計から豊臣秀吉が手掛けた庭園がありました。
そこまで豊臣秀吉が手をかけ、心を砕いて造った庭園とは?
目次
その庭園の名は?
豊臣秀吉に縁の深い庭園というと、醍醐寺の庭園の名前を挙げることが出来ます。
そんな庭園を持つ醍醐寺は最初9世紀に建てられましたが、応仁の乱の際、戦渦に巻き込まれたことにより、荒廃してしまいます。
しかし、そうして荒れ果ててしまった醍醐寺に手を貸し、再興させたのが豊臣秀吉でした。
現在でも残っている醍醐寺の表書院は秀吉の催した醍醐の花見の際に建てられた建物を移築したものです。
そして、その庭園、三宝院庭園では豊臣秀吉が盛大な花見や茶会を行ったことで知られています。
秀吉肝入りの庭園
豊臣秀吉はこの三宝院庭園に深く関わりを持っていました。
それもそのはず。
実はこの庭園は豊臣秀吉自らが基本設計を行った庭だったのです。
残念ながら豊臣秀吉が生きている間には完成しませんでしたが、その庭園に対する豊臣秀吉の凝りようはそこかしこに見ることが出来ます。
豊臣秀吉がこだわりを見せたのは例えば池の形であったり、中島の場所や石の置き場所などと様々で、庭園のあらゆる場所に及びます。
更に豊臣秀吉は人に任せきりにせず現地で作業し、配下の三人を奉行としてこの庭園づくりに奉仕させていたことがわかっています。
豊臣秀吉のこの庭園に捧ぐ情熱は並大抵のものではなかったのです。
そして豊臣秀吉が生きている間にこそ完成しなかったのですが、実に27年もの年月をかけて、遂にこの庭園が完成したのです。
庭園の一押しポイント!
豊臣秀吉が基本設計を行い、様々なところにこだわりを見せるこの庭園。
見どころは多々あるものの、一番のポイントは藤戸石とよばれる石。
庭の中心にあるこの石は、この庭園の中でも特に豊臣秀吉がこだわりを持っていた石でした。
この石は実は豊臣秀吉が聚楽第から運ばせた石なのです。
豊臣秀吉が天下を取る前から名石として知られていたこの石は豊臣秀吉が深く関わったこの庭園の中でも特に有名であり、豊臣秀吉自身がこだわったポイントだったのです。
豊臣秀吉が基本設計をおこない、わざわざ自分で選んだ名石、藤戸石などを運ばせて作った醍醐寺の三宝院庭園は、細部にまで豊臣秀吉のこの庭園に対するこだわりが感じられるものとして完成しました。
もし生きているうちに完成さえしていたら、豊臣秀吉にとってこれ以上ないほど心安らぐお気に入りの庭園となっていたはずの庭園だったのです。