豊臣秀吉が晩年に行った朝鮮出兵。
しかし、結局は失敗に終わり、豊臣秀吉が死亡してから軍は日本に引き上げるという結果になりました。
朝鮮出兵を行った理由には諸説ありますが、最近新しい説としてスペインに関係する説が登場してきました。
一体豊臣秀吉が行った朝鮮出兵にスペインがどう関わってくるのでしょうか。
目次
世界の情勢と新しい説
豊臣秀吉が朝鮮出兵を行ったとき、世界の情勢は大きく変わろうとしていました。
それまで大きな力を誇っていた明の力が衰えを見せ始めたことで、国際秩序が大きく揺らいでいたのです。
豊臣秀吉が朝鮮出兵を行ったのは、そんな明を手に入れるためでした。
朝鮮出兵を行った理由でよく知られている説は、豊臣秀吉が家臣に恩賞として与えるための土地を求めたためという説。
しかし、新しい説ではなんと豊臣秀吉はスペインの侵略から日本を守るための朝鮮出兵だったといわれているのです。
朝鮮出兵は日本を守るため?
豊臣秀吉の朝鮮出兵がスペインから日本を守るためということは一体どういうことなのでしょうか。
それを知るためには当時のスペインについて知らなければなりません。
当時スペインはフィリピンをスペイン領にするなど大きな力を持っていました。
また、他の国を侵略する方法として宣教師を使っていたのです。
まず宣教師を送り込み、キリスト教を広めることが最初の一歩。
布教が進み、キリシタン、つまりこちら側のいうことを聞いてくれる人が増えたところで軍を送り込み、その国を占領する、という戦略方法でした。
豊臣秀吉が天下を取っていた時代はキリスト教がだんだん広まり始めており、キリシタンも急激に数を増やしていました。
つまり、スペインが侵略できる状況が整いつつあったというのです。
しかし、スペインと日本では距離が遠すぎて兵を送り込むとしても数が限られ、とても侵略はできません。
そこで、先に明国を支配し、そこを拠点として日本に攻め入ろうとするかもしれない、だから先に明国を手に入れる、という考えこそ、豊臣秀吉の朝鮮出兵はスペインから日本を守るためだったという説の考え方です。
秀吉には世界が見えていたか?
ただ、それが本当の朝鮮出兵の理由かはわかりません。
当時豊臣秀吉は多くの国に日本に対して朝貢を求めていました。
スペイン領だったフィリピンに対してもです。
さらに、海外に向けて自分の兵力を誇るような手紙も送っていた豊臣秀吉。
あまり世界の状況、海外の国の様子などについて詳しくなかったのではとされています。
そんな豊臣秀吉がスペインが明を利用する、という思惑に気が付き、阻止するために朝鮮出兵を行うでしょうか。
朝鮮出兵の理由がスペインが絡む思惑に関するものだったかどうかは、豊臣秀吉が世界の状況をどのくらいわかっていたか、そしてスペインという国をどう見ていたかがカギとなるのです。