現代では、少し前にはなかった食べ物が次から次へと登場し、人気を博しています。
現代に限らず、食べ物が話題になるのはいつの時代でも同じことでした。
食べなければ生きていけない以上、できるならば美味しいものを食べたい、と思うのは誰でも当然の事なのです。
ただ、人によって好物となる食べ物は違います。
では、日本の歴史上の有名人、天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉はどんな食べ物が好きだったのでしょうか。
天下人の意外な好物とは?
天下人になるという大出世を果たした豊臣秀吉。
そんな豊臣秀吉の好きな食べ物とは何だったのでしょうか。
天下人ならではの豪華で、そして豊臣秀吉好みの派手な見た目の食べ物?
いえ、派手好きな豊臣秀吉が好んだ食べ物はそれ自体は全く派手ではない食べ物でした。
意外に思えるほど質素なものを好んでいたようです。
たとえば、好きだったと伝わる食べ物の一つが、割粥というもの。
これは米粒を小さく割って炊いた食べ物ですが、見た目も地味で、天下人が好むものとしては意外に思えるものです。
それも、あの派手好きの豊臣秀吉となればなおさら。
しかし、この割粥に限らず豊臣秀吉の好きだったと伝わる食べ物には質素なものが多いのです。
地元に伝わるこれが好きだった?
豊臣秀吉が好んだ食べ物として知られている中には、現代でも食べられている食べ物が多くあります。
例えば魚介類や、ゴボウなどもその一例。
更に、尾張の豆味噌や地方の村に立ち寄った時に食べた守口大根の漬物なども好物だったと伝わります。
守口大根の漬物は守口村で作られていたことから守口漬けと呼ばれていますが、実はこの名前、豊臣秀吉がつけた名前なのです。
実は豊臣秀吉の好きな食べ物の中には、豊臣秀吉が名付けたものがいくつも存在しています。
守口漬け以外にも、こんなきっかけで食べたものにも名前をつけていました。
甘党過ぎて名付け親に?
豊臣秀吉の弟、秀長が豊臣秀吉を招く茶会のためにとあるお菓子を作らせました。
そのお菓子は豊臣秀吉に非常に気に入られたそうです。
しかし、まだ名前がなかったそのお菓子、なんと豊臣秀吉からうぐいす餅、という名前を付けてもらったのです。
実は現代で私たちが食べたことのある馴染みのうぐいす餅は、豊臣秀吉のために作られ、そして豊臣秀吉が名付けた由緒ある和菓子だったのです。
他の茶会でも、河内屋長五郎という人物が作ったお菓子を気に入った豊臣秀吉でしたが、まだそのお菓子には名前がついていなかったため、長五郎もち、と名付けたと伝わっています。
現代に伝わるあのお菓子の名付け親だった豊臣秀吉、どうやら甘いものは好きだったようです。
こうして振り返ると、豊臣秀吉は意外にも豪華な食べ物だけを好んではいなかったことがわかります。
逆に質素、地味という言葉が当てはまりそうな食べ物もあるほど。
天下人、豊臣秀吉には、そんな意外な一面があったのです。