豊臣秀吉の3つの遺言書

天下人となり、大きな権力を手にした豊臣秀吉ですが、伏見城で病の床に伏し、自分の死を悟ったためか、3つの遺言書を残してます。

複数ある豊臣秀吉の遺言書ですが、これらの遺言書の内容を見てみると、豊臣秀吉が晩年、自分が亡くなった後、いったい何を気にかけていたのかがわかります。

では、その遺言書は一体どんな時に、だれへ向けて書かれたのか、そしてその中でいったい何を気にしていたのでしょうか。

スポンサーリンク
hideyoshi-toyotomiレクタングル大

遺言書はどのように託されたのか

1598年、62歳で亡くなった豊臣秀吉ですが、その死の前に伏見城で床に伏してからいくつかの遺言書を残しています。

現在まで伝えられているその遺言書の数は3つ。

では、その遺言書は一体どんな風に託されたのでしょうか。

晩年、病に伏した豊臣秀吉は5月15日、徳川家康、前田利家、前田利長、宇喜多秀家、上杉景勝、毛利輝元ら五大老に彼らの嫡男、そして前田玄以、長束正家にあてて11ヶ条からなる遺言書を出しています。

その遺言書を受け取った者たちは秀吉に、言いつけに背かないという起請文に血判をつけて渡しました。

そしてさらに7月4日ごろ、律義者として知られていた徳川家康、諸大名に対し、「豊臣秀吉遺言覚書案」と呼ばれる遺言書を託しているのです。

そして3つ目の「豊臣秀吉自筆遺言状案」はさらに日がたった8月5日、五大老あてに書かれたものです。

こうして秀吉は晩年、火を開けつつも3つの遺言書を複数の人物に託しているのです。

遺言で指示された死後の取り扱いとは?

こうして残された豊臣秀吉の3つの遺言書ですが、その中にはいったいどんなことが書かれていたのでしょうか。

その3つの遺言書の中には、豊臣秀吉の死後の政治の在り方などだけではなく、亡くなった後の自分の取り扱いについても書かれています。

例えば亡くなった後の自分の体ですが、豊臣秀吉は焼いて埋葬することを禁止しています。

つまり、遺体は焼かずに埋葬するようにと書かれているのです。

自分の死後に対する扱いについて書かれていたのはそれだけではありません。

豊臣秀吉は死後、実は神様として祀ってほしいと書き残しているのです。

豊臣秀吉の残した遺言書にはそういったことまで触れていたのです。

最大の心配事は?

自分の死後の取り扱いのほかにももちろん様々なことが書かれている遺言書ですが、その中でも繰り返し触れていることで豊臣秀吉が一番何を心配していたのかがわかるものがあります、

豊臣秀吉が遺言書で何度も触れたその出来事が、自分の跡継ぎ、秀頼のこと。

よほど心配だったのか、豊臣秀吉は遺言書の中で何度も秀頼のことに触れ、くれぐれもよろしく頼むと後を託しているのです。

遺言書を託した中に徳川家康を含めていたのも、律義者として知られていた徳川家康にも跡継ぎである秀頼のことを託しておきたかったのだとされています。

豊臣秀吉が残した3つの遺言書ですが、それらを見ると豊臣秀吉が一体自分の死後、何を一番気にかけていたのかなどをうかがい知ることが出来るのです。

スポンサーリンク
hideyoshi-toyotomiレクタングル大

hideyoshi-toyotomiレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする