豊臣秀吉が天下人となったころ、日本の世の中で医者といえば漢方医のことでした。
そのことからもわかるように、豊臣秀吉が生きた時代と現代とでは病気の治療法や病気になってしまった原因などの考え方が大きく違っています。
しかし、病気そのものは豊臣秀吉が生きた時代でも、現代でもそれほど大きくは変わりません。
では、例えば豊臣秀吉の死因となった病気は何だったのでしょうか。
そして、当時の健康法にはどんなものがあったのでしょうか。
目次
お気に入りの養生法
豊臣秀吉は自身の健康管理に熱心な面がありました。
多くの医者たちと懇意になり、関わりも持っていたのです。
例えば側近の一人には医者である施薬院全宗がいます。
他にも豊臣秀吉が関わった医者は多くいます。
そんな豊臣秀吉が気に入って度々行っていた養生法があります。
それが温泉に入ることでした。
豊臣秀吉だけではなく、戦国時代の武将たちは戦いで負った傷を癒すため、温泉に入っていたのです。
戦国時代の武将たちは度々この湯治という養生法を行っていました。
そして大名ごとにひいきにしている温泉があり、現代でもそれらの温泉は利用されているところも多いのです。
豊臣秀吉は中でも有馬温温泉がお気に入りの温泉であり、記録では有馬温泉にはその生涯で9回も行ったとされているほど。
温泉を使った湯治は当時の健康管理法としては一般的であり、豊臣秀吉も例外ではないのです。
健康のための太閤スープ
豊臣秀吉は健康管理に熱心だったため、湯治の他にも健康管理するための方法を行っていました。
その一つが食事です。
実は豊臣秀吉は自分の健康のために特別なスープを飲んでいました。
それが太閤スープと呼ばれるものです。
この太閤スープには、肉などの具材が入っていましたが、ほかに大きなポイントとなる食材が含まれています。
その特別な食材とは、はちみつのこと。
豊臣秀吉は肉やはちみつを入れた特別な太閤スープで病気を寄せ付けない、健康な体を作っていたのです。
豊臣秀吉の死因は?
そのように健康管理に熱心な豊臣秀吉でしたが、晩年は体の不調に悩まされていたようです。
豊臣秀吉を悩ませたその不調の原因はいまだに謎に包まれています。
病気なのか、何なのか。
もし病気であればどの病気なのかすら確証はないため、現代では豊臣秀吉の死因となった原因は何か、どんな病気のせいかが多くの説とともに語られています。
豊臣秀吉の晩年は、衰弱が激しく、下痢や腹痛、食欲不振に数か月でやせ衰えていたというため、その症状や様子からがんだった説や、女好きだったために性病を発症したという説があります。
豊臣秀吉は自分の健康管理に熱心で側近に何人かの医者を抱え、太閤スープなど、体調管理に工夫をこなしていましたが、それでも晩年は体調が優れず、原因は謎のまま亡くなっていたのです。