豊臣秀吉は人たらしだったといわれています。
織田信長やねね、そして家臣など、豊臣秀吉と豊臣秀吉を取り巻く人々の間ではそのことを証明するかのような逸話が数多く残され、現代にまで伝わってきているのです。
卑賤の出から数多くの戦国大名たちを押しのけ、多くの家臣たちを従えたうえで天下人となった豊臣秀吉にはそんな人たらしだったことが推し量れるような逸話も多く残ってる一方、現代ではそんなことをしたのかといわれそうな逸話にも事欠きません。
では、そんな豊臣秀吉と家臣たちの間には、どんな逸話が残っているのでしょうか。
目次
秀吉への土産は虎の肝?
豊臣秀吉は天下を統一した後、海外にも手を伸ばし、朝鮮を制圧するために兵を出しました。
そうして豊臣秀吉によって朝鮮に向かった家臣の一人、加藤清正と豊臣秀吉にはそのころから伝わる逸話が伝えられています。
豊臣秀吉が朝鮮へ兵を差し向けたとき、朝鮮半島にはアムールトラが生息していました。
実は日本ではそのころ、トラの肝が強壮薬と信じられ、重宝されていたため、そのアムールトラを退治し、日本にいる豊臣秀吉に送る土産とすればどうかと考えたのが家臣の加藤清正。
そして、実際に朝鮮にいたアムールトラを退治し、豊臣秀吉に土産として送ったのです。
それを受け取った豊臣秀吉は大いに喜んだと伝えられています。
しかし、この話は家臣の加藤清正が豊臣秀吉にトラを土産として送り、それを受け取った豊臣秀吉が受け取って喜んだだけでは終わりませんでした。
その話を聞きつけた者たちがいたのです。
そしてその者たちは競って豊臣秀吉にトラの肝を土産として日本に送り始めたのです。
どんどん退治される朝鮮のアムールトラ。
そして豊臣秀吉のもとに届き続ける虎の肝。
最初はその土産を喜んでいた豊臣秀吉も、最後には多すぎて不要と伝えてくるほどだったといわれています。
賭け囲碁の賞品は?
豊臣秀吉が嗜んでいた趣味は数多くありました。
そんな豊臣秀吉はある時、伊達政宗と賭け囲碁をしたという逸話が残されています。
しかし、その時に賭けられた賞品は信じられないものでした。
豊臣秀吉が伊達政宗と行った賭け囲碁の結果として豊臣秀吉は伊達政宗にその賞品を渡します。
その信じられない賞品とは、なんと豊臣秀吉の側室であるお種の方でした。
豊臣秀吉は自分の側室を賭け囲碁の賞品とし、豊臣秀吉に勝った伊達政宗にお種の方を下げ渡したのです。
この逸話には諸説あり、豊臣秀吉が賭け囲碁をしたのは伊達政宗の家臣である鬼庭綱元であるともいわれています。
逸話に事欠かない豊臣秀吉
天下人となった豊臣秀吉は様々な逸話が伝えられており、豊臣秀吉や周りを取り巻く家臣などの人々との関係を垣間見ることが出来ます。
その逸話の中には信じられないものもありますが、豊臣秀吉の人たらしの一面がわかる話もあります。
そうした逸話を知ることで、現代でも人気の高い豊臣秀吉のことをより深く知ることが出来るのです。