卑賤の出から天下人となった豊臣秀吉。
そんな豊臣秀吉は正室や多くの側室を持っていましたが、なかなか子供には恵まれせんでした。
実子に恵まれるのはずっと後、その人生の後半に差し掛かったころだったのです。
他の戦国大名たちは自分の子供を人質として利用することもありましたが、豊臣秀吉は子供がいないため、代わりに血縁をとことん利用しました。
そんな豊臣秀吉の親族、そして豊臣秀吉の末裔たちはどうなったのでしょうか。
目次
親族はとことん利用?
豊臣秀吉はなかなか子供に恵まれなかったこともあり、少ない親族を自分のために利用していました。
それも極めてわずかしかいなかった血縁だけではなく、正室ねねの近親たちまで利用したのです。
そしてそんな豊臣秀吉に利用され、人生が大きく変化した血縁たちの多くは悲惨な末路をたどることになりました。
また、その影響は豊臣秀吉の死後、その末裔たちにまでも残っていたのです。
後継者候補の悲惨な末路
豊臣秀吉は子供に恵まれなかったため、実の姉の息子を養子にし、後継者候補として関白を譲っていました。
それが豊臣秀次です。
しかし、豊臣秀吉に実子が生まれたため、秀次との間はうまくいかなくなっていきます。
そして、遂には豊臣秀次は豊臣秀吉によって死刑にまで追い込まれてしまうのです。
また、豊臣秀吉の親族であり、養子に迎えた羽柴秀俊も小早川隆景の養子となり、小早川秀秋と名前を変えます。
この小早川秀秋は関ケ原合戦で西軍を裏切り、東軍徳川方が勝利するきっかけとなるのですが、20歳前半で早死にしてしまうのです。
女子による継承
豊臣秀吉は親族から多くの養子を迎えますが、豊臣秀次や羽柴秀俊のように悲惨な末路を迎える人物が目立ちます。
そうして豊臣秀吉の親族の多くは豊臣秀吉に多くの影響を受け、早くに亡くなってしまうことも多かったのです。
そのうえ、豊臣秀吉の実子である秀頼とその正室であった千姫に子供はいませんでした。
このため、豊臣秀吉の直系となる末裔はいないのです。
しかし、直系ではありませんが、実は豊臣秀吉に関係ある人物の末裔はまだ途絶えてはいませんでした。
豊臣秀吉の姉には3人の息子がいましたが、そのうち秀次と秀勝、秀長が子を残しているのです。
そして秀次の子供では二人の女子が生き延び、秀勝も完子という娘が末裔として残っていたのです。
さらに、秀長の子供のうちの娘の一人が子供を残しています。
豊臣秀吉は親族に恵まれず、その親族も豊臣秀吉に関わった結果、早くに亡くなってしまったりなど、直系となる末裔は途絶えてしまいました。
しかし、直系ではないものの、豊臣秀吉の血縁の中では女子が後々まで生き残っており、その女子によって血縁は継承されていったのです。