豊臣秀吉と関わりのある神社仏閣

豊臣秀吉が天下人となった戦国時代には多くの神社仏閣が建てられました。

戦国時代は桃山時代ともいわれますが、その時期に建てられた神社仏閣には桃山時代特有の建物の特徴を見て取ることが出来ます。

その神社仏閣の中には時の権力者である豊臣秀吉と関わりのある建物も多く建てられ、現在でもその姿を見ることが出来るものも多く残っています。

では、そんな桃山時代に建てられた神社仏閣の中で、豊臣秀吉と関わりのあるものはどんな神社仏閣なのでしょうか。

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時代の特徴は?

建物からは時代によって違うその時代の特徴を読み取ることが出来ますが、それは桃山時代の神社仏閣においてもいえること。

では、桃山時代特有の特徴とは一体何なのでしょうか。

豊臣秀吉が天下人となり様々な文化が育っていった桃山時代には、そんな時代の華やかさが読み取れるような特徴を持った神社仏閣が建てられています。

贅を凝らした装飾に、華やかな透かし彫りなどはその代表的な特徴の一つ。

豊臣秀吉が織田信長の後を継いで一気に天下人へのしあがり、その才能を開花させたその裏で、桃山時代の文化や神社仏閣などの建築もまた、花開くように華やかな雰囲気をもつようになっていったのです。

聚楽第を知る手がかりか?

聚楽第といえば、豊臣秀吉が建てた邸のひとつですが、どんな建物だったのか、現在でははっきりとはわかっていません。

天皇を招いたり、政務を行っていた邸ともいわれますが、詳しいところはわかってはいないのです。

そんな謎の多い聚楽第を知る手がかりの一つとなるのが、西本願寺飛雲閣です。

これは聚楽第の遺構とも伝えられる数奇屋風書院造の建物なのです。

この建物には一般の神社仏閣にはないような自由で奇抜な部分があります。

それが、「舟入の間」と呼ばれる部分です。

実はこれは室内から船に乗れるという何ともユニークな発想を活かしたもの。

更に西本願寺書院など、伏見城の遺構と伝えられていた203畳の豪華で壮大な書院造の建物があるのです。

そんなユニークな特徴を持っている西本願寺飛雲閣。

聚楽第もまさかそんなユニークな特徴を持っていたのでしょうか。

秀吉のための寺

天下人となり、巨大な権力を握った豊臣秀吉ですが、大きな茶会を催した後、病に倒れてしまいます。

そして間もなくなくなってしまうのですが、その時、嘆き悲しんだ豊臣秀吉の妻、北政所(高台院)が、わが子を気にかけながら亡くなった豊臣秀吉の冥福を祈るために建立した寺があります。

それが高台寺です。

豊臣秀吉は生きている間に聚楽第など多くの城や建物を建ててきましたが、亡くなった後にも高台寺などの豊臣秀吉と関係する神社仏閣が建てられているのです。

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