天下人、豊臣秀吉と大阪には深い縁があります。
大阪は豊臣秀吉が政治を行っていたというゆかりの地なのです。
そのため、大阪には今でも豊臣秀吉に関係する神社、建物などが多く残っています。
沢山ある神社など、その中でも特に有名なものが大阪城と豊臣神社です。
では、豊臣秀吉にゆかりの地、大阪にあるその城と神社は一体どんなものだったのでしょうか。
目次
見逃せない秀吉ゆかりの地
大阪は豊臣秀吉にとって政治を行った地であり、豊臣秀吉を語るうえで見逃すことのできないゆかりの地でもあります。
そんなゆかりの地、大阪にある豊臣秀吉に関係する建物で有名なものには大阪城と豊国神社があります。
豊国神社は名古屋や京都にもありますが、同じように豊臣秀吉を祀る豊国神社が大阪にもあるのです。
しかし、豊臣秀吉を祀るその神社は豊臣秀吉がなくなってすぐ創建されたわけではありませんでした。
豊臣秀吉が亡くなり、徳川家康の時代になると、豊臣秀吉を祀ることは禁止されてしまったのです。
そして、明治時代になると、豊臣秀吉を祀る運動などが起こり始めます。
豊臣秀吉ゆかりの地、大阪にある豊国神社もその明治時代に創建されたのです。
また、実は最初に大阪に豊臣秀吉を祀る豊国神社を創建するようにと言い始めたのは明治天皇でした。
豊臣秀吉ゆかりの地、大阪は天下人である豊臣秀吉が居城をこの地に建て、政治を行ったというゆかりの地。
そのため、そんなゆかりの地である大阪に豊臣秀吉を奉祀する神社を建てるようにと明治天皇が述べたのです。
そんな大阪の豊国神社は卑賤の出ながら天下人まで上り詰めた豊臣秀吉にちなみ、出世、開運を願い訪れる人が後を絶ちません。
15年かけて作った大阪城
豊臣秀吉が居城にして政治を行った大阪城。
その名前の通り、豊臣秀吉ゆかりの地、大阪にあります。
そして実はこの城を建てるにはかなりの年月がかかっていました。
大阪城を建てるために必要だった年月はなんと15年。
1583年に摂津の国を手中に収めたので豊臣秀吉は石山本願寺跡に大阪城の築城を企てたのです。
そして、それから続くこと約15年。
やっと豊臣秀吉が居城とする大阪城が完成したのです。
祀られているのは?
豊臣秀吉ゆかりの地は大阪だけではありません。
例えば京都や名古屋にも豊臣秀吉を神として祀る神社、豊国神社があります。
しかし、大阪の豊国神社には他の神社にはない特徴があります。
それが、祀られている神様についての違いです。
豊臣秀吉が神として祀られているのは他のゆかりの地にある豊国神社にも共通していますが、実は大阪の豊国神社は神社には嫡男である秀頼、秀吉の弟である秀長をも祀っているのです。
豊臣秀吉ゆかりの地である大阪。
豊臣秀吉の関係する神社や建物の中でも、大阪城、そして豊国神社は大阪では外すことのできないものなのです。