豊臣秀吉が貿易を保護するために取った方法とは

豊臣秀吉は政治の中で、貿易に力を入れていました。

豊臣秀吉のころには朱印状を持った船によって行われる朱印船貿易が始まり、織田信長の時代から南蛮貿易も進めていたのです。

しかし、貿易を行うには多くの障害が立ちはだかることがありました。

では、豊臣秀吉が貿易を行う上でその障害をどのように超えていったのでしょうか。

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貿易に立ちはだかる海賊に秀吉は?

豊臣秀吉は朱印船貿易、南蛮貿易など貿易に力を入れていました。

しかし、時にはその貿易に障害が立ちはだかることも。

例えば、豊臣秀吉が貿易を行う上で立ちはだかった障害の一つが当時瀬戸内海に多くいた海賊でした。

その海賊の正体は島や沿岸の一部を支配する領主たちで、通行料を払えばよし、もし拒めば荷を奪うなどの行為で、貿易を行う上でどうしても解決しなければならないものとなっていたのです。

そんな海賊に対し、豊臣秀吉は1588年に海賊停止令を出すことで対応します。

これは海賊に豊臣政権に大名として入るか、武力解除して陸で働くかを迫るものでした。

これにより、豊臣秀吉は海上の安全を確保、豊臣秀吉の大きな財源の一つである貿易を守ったのです。

さらに、このことにより、豊臣秀吉は海上支配も行いました。

貿易をしたい、ではキリスト教はどうする?

また、豊臣秀吉は織田信長の時代から続いて南蛮貿易を進めていました。

しかし、キリスト教が徐々に力をつけはじめ、警戒した豊臣秀吉はキリスト教を禁止し始めます。

一方で、豊臣秀吉は京都や酒井、そして長崎に博多などの豪商たちに南北との貿易を奨励していました。

しかし、豊臣秀吉が推奨する貿易はキリスト教の布教と強く結びついており、キリスト教を禁止すれば貿易に滞りが生まれ、貿易を優先させればキリスト教の布教が進みます。

そのため、豊臣秀吉によるキリスト教の取り締まりは徹底的に、とはいかなかったようです。

豊臣秀吉は貿易を優先させたのです。

豊臣秀吉と貿易

ここで説明したように、豊臣秀吉は南蛮貿易などを進めていました。

しかし、貿易を進めるには越えなければならない障害がありました。

それが海賊やキリスト教です。

そこで豊臣秀吉は、貿易に影響する海賊に対しては自分の配下に組み入れ、貿易を安全に行えるようしたのです。

そして海賊を水軍として自分の力にしたうえ、海上支配にまで手を伸ばしました。

一方、キリスト教の力を警戒し、取り締まりながらもそれでは貿易がうまくいかなくなるという難問に対しては、貿易を優先させ、キリスト教に対する取り締まりを徹底させてはいませんでした。

豊臣秀吉にとって、それほど貿易は大事な財源だったのです。

そして、この対応からもわかるように、貿易を行うときに現れた海賊などの障害に対しては、うまく自分の利益になるようにかわしつつ、より将来のためになるような対策を行っているのです。

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