豊臣秀吉とルイスフロイスの生涯

戦国時代は宗教に関する問題が多く起きた時代でした。

仏教徒が大きな勢力と大きな力を持っており、危険視した戦国大名と激しい戦いを繰り広げていたり。

キリスト教も戦国時代では戦国大名との距離感についてなど、多くの問題を抱えていました。

そんななか、キリスト教の宣教師としてやってきたのがルイスフロイス。

ルイスフロイスは当時の権力者、織田信長といい関係を築いていましたが、その後、豊臣秀吉が権力を握るようになると少し様子が変わっていきます。

どんな風に変わっていったのでしょうか。

そして、その時代に翻弄されたルイスフロイスとは一体どんな人物だったのでしょうか?

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いったい何者?

戦国時代、織田信長とキリスト教はいい関係を築いていました。

そんな中、ポルトガルからやってきた一人の宣教師がルイスフロイスです。

1563年に来日したイエズス会のルイスフロイスはキリスト教を危険視しない織田信長の保護のもとで畿内不況の基礎を築き上げました。

また、当時の準管区長、コエリヨの秘書として年報の作成なども手掛けていたことが知られています。

そんなルイスフロイスが行った中でも、『日本史』の執筆は特に有名です。

10年余りかけてこの書き上げた『日本史』は、ルイスフロイスがその生涯になしたことの中でもよく知られています。

他にも、『日欧文化比較』なども執筆しています。

秀吉に厳しい?

そんなルイスフロイスは豊臣秀吉に何回か謁見しています。

1586年には大阪城で、そして1590年には聚楽第で豊臣秀吉と謁見していることがわかっているのです。

また、豊臣秀吉と直接会ったルイスフロイスは豊臣秀吉に関して思ったことやその外見などを『日本史』のなかで書いています。

しかし、その記述を読むと、ルイスフロイスが豊臣秀吉に対し好感を持っていなかったことがわかります。

その外見や性格に対して、辛口でこき下ろしているのです。

一方で、寧々の事は日本の女王として持ち上げています。

ルイスフロイスが書き残した秀吉に対する評価は辛口ですが、他の人物に関してはそんなこともなかったのです。

人生を変えたバテレン追放令

そんなルイスフロイスの人生は豊臣秀吉が出したバテレン追放令で大きく変わります。

もとは織田信長の政策を受け継ぎ、キリスト教に関しては厳しくなかった豊臣秀吉ですが、その後は態度を変え、遂に日本にキリスト教が広まらないようにバテレン追放令を出したのです。

しかし、ルイスフロイスは母国へは帰りませんでした。

バテレン追放令ののちは主に長崎などに住み、その長崎で生涯を終えるのです。

日本へ来日し、キリスト教への対応が大きく変化していった織田信長から豊臣秀吉の時代を生きたルイスフロイス。

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