いつの世であっても、人がいるところにはいろんな噂が出回っています。
それが有名な人物に関することであればなおさら。
豊臣秀吉が生きていた戦国時代でも人々は様々な噂をしていました。
天下人となった豊臣秀吉について、当時の人々はどんな噂をしていたのでしょうか。
女好きゆえの噂とは?
豊臣秀吉という人物について、現代の私たちが知っていることといえば、女好きで、人たらしだったといわれている、ということでしょうか。
豊臣秀吉は女好きだったということは当時でもよく知られたことでした。
しかし、そのためにとある噂が立ってしまったようです。
戦国時代には現在とは違い、男色が戦国武将たちの中でも一般的なものだとされていました。
そんな中、女好きゆえ男性には手を付けない豊臣秀吉に対し、いぶかった周囲は様々な憶測をし、噂が立っていきます。
いわく、石田三成と豊臣秀吉が愛人関係である、また違う噂では織田信忠と豊臣秀吉が男色関係である、など。
その噂は確かな証拠はなく、あくまでも噂ですが、そんな噂がたつほど男色は戦国時代では一般的なものだったのです。
家臣が豊臣秀吉の部屋に美少年を送り込んだ時、豊臣秀吉はその少年には手を付けず、少年に対し妹か姉はいるか、と聞いたほど女好きだった豊臣秀吉。
戦国時代に力を持った戦国武将でありながらも男色はせず、女好きを通していた豊臣秀吉は、その女好きゆえにそんな噂をされていたのです。
警戒する女たち
豊臣秀吉が男色をしないほど無類の女好きだという噂は当時でも知れ渡っていました。
そのため、豊臣秀吉に手を付けられないようにと、女性たちは呼び出しがあれば警戒していたようです。
絶世の美女であったという細川ガラシャは豊臣秀吉に呼び出された際、わざと懐から懐剣を落としてみせて豊臣秀吉を牽制したといわれています。
更に、同じように豊臣秀吉に呼び出された際、鎧姿で現れ、豊臣秀吉を圧倒したという女性も。
豊臣秀吉がどれほど女好きかという噂は当時の女性たちを警戒させるのには十分だったのです。
外国の品のとりこに?
豊臣秀吉は天下人になり、貿易を推奨していました。
そんな中で、キリスト教を布教しているイエズス会の人々が持ち込んだ南蛮渡来の品々を好んだといわれます。
ルイス・フロイスによると、大阪城の寝室には派手な装飾好きの寝台があったとか。
豊臣秀吉は布団ではなく、ベッドで寝ていたのです。
更に、寝具も唐織物だったとも。
派手好き、さらに渡来の品が好きだったと噂される豊臣秀吉にふさわしい寝室が大阪城には用意されていたのです。
歴史上の有名人である豊臣秀吉。
実は男性に興味を示さず、女好きを通したことで、女性たちには警戒されたり、逆に男色の噂を立てられたりと、思わず親しみを抱いてしまうような人間的な面が見えてくるのです。