日本の歴史上、まれにみるほどの大出世を遂げ、権力者として大きな力をふるった豊臣秀吉ですが、その影響は政策だけにはとどまりませんでした。
例えば、芸術の分野でも時の権力者である豊臣秀吉の影響を受け、大きな変化を迎えたものもあります。
豊臣秀吉の影響を強く受けたものの一つが能です。
現代でも日本の伝統芸能としてよく知られている能に、いったい豊臣秀吉がどんな影響を与えたというのでしょうか。
目次
戦国時代の能ブーム
豊臣秀吉が能に与えた影響を見るには、当時の能について知っておくことがポイントとなります。
実はまだ豊臣秀吉が天下を獲る前、能は一時衰退していました。
遡って応仁の乱がおきたころ、都の荒廃のあおりを受けてしまったのです。
そうして応仁の乱をきっかけにして衰退していった能ですが、今現在伝統芸能として残っていることからもわかるように、あるころから勢いを盛り返し始めました。
それが戦国時代です。
力を持っていた戦国武将たちが、衰退していた能を好むようになったのです。
その結果、戦国武将たちの間で能はブームとなり、能も新たな歴史を刻み始めたのです。
秀吉は能が好き?
戦国時代に人気が出た能ですが、天下人となった豊臣秀吉は特に能に関して熱心でした。
能好きなあまり、能の舞台をたくさん開き、自らの功績を題材に太閤能というものを作らせたり、果ては自ら舞ったりしています。
そのように時の天下人、豊臣秀吉が能に関して熱心だった分、能に与える影響も大きなものとなったのです。
盛り返した能業界
応仁の乱で廃れていた能は戦国時代に戦国武将の間で人気となり、徐々に盛り返しました。
そして、天下人、豊臣秀吉の影響も強く受けています。
豊臣秀吉は能で金春、観世などを始めとした、いわゆる大和四座の役者に給与を与えるなど、能を保護する方針を打ち出したのです。
更に、その後の徳川幕府も能を保護したため、その影響はすさまじく、なかでも豊臣秀吉の後援を受けていた金春流は後盛します。
のちに徳川幕府では能と狂言を幕府の式楽と定め、社会的地位を固めるまでになったのです。
また、豊臣秀吉は能だけではなく、お茶に関しても大きな影響を与えています。
織田信長に続いてお茶を保護する方針を出していたためです。
そして豊臣秀吉のもとで千利休は宇治茶の地位を上げるために奮闘し、豊臣秀吉が天下を獲った安土桃山時代で宇治茶は天下一のお茶として地位を固めたのです。
豊臣秀吉はその権力の強さから、お茶や能など、さまざまな分野のものに影響を与え、その影響はその分野の未来を大きく変えるほどのものだったのです。