豊臣秀吉の出発点とは足軽だったのか

豊臣秀吉といえば、戦国時代に大出世を遂げ、天下人にまでなった有名な人物です。

権力の頂点として天下人になったことは知られていますが、それまでの豊臣秀吉の出発点といえば卑賤の出だった、と一言で説明されることが多いはず。

では、豊臣秀吉の大出世の出発点とはどこだといえるでしょうか。

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秀吉と足軽

豊臣秀吉は天下人となって戦国時代の大名たちを支配してからの行動はよく知られています。

しかし、豊臣秀吉が出世を遂げるまでについては意外に知られていないところがあります。

例えば、織田信長に仕える前や仕えてから名をあげるまでの行動はよく知られていません。

名を残されるほどの地位にはいなかったためです。

豊臣秀吉が織田信長に仕えており、まだ木下藤吉郎を名乗っていたころ、豊臣秀吉は足軽大将という地位にいました。

戦国時代の戦に必ず必要だった足軽ですが、その足軽の部隊を指揮する立場が足軽大将です。

豊臣秀吉はこの足軽を指揮する足軽大将として戦に参加していたのです。

また、真相は怪しいものの、豊臣秀吉の父親は鉄砲足軽だったともされています。

足軽=農民?

足軽とは、武家時代の雑兵であり、下っ端の兵です。

それも、足軽は普段から兵として訓練などは受けてはいませんでした。

普段は農作物を育てる農民が戦などの非常時の際に足軽として徴発されていたのです。

しかし、その足軽をとりまく状況は徐々に変わっていきます。

豊臣秀吉が活躍していた戦国時代になると、それまでの戦い方が少し変わってくるためです。

鉄砲など、それまでなかった攻撃方法や道具が使われるようになっていきます。

そのため、それまでの戦い方はそれに合わせて変化していきました。

ただの足軽としてではなく、訓練された足軽が登場してきたのです。

そして、やがて鉄砲や弓など専門の武器を使いこなす足軽が誕生していったのです。

鉄砲を使う足軽は鉄砲足軽、弓を使う足軽は弓足軽などの名前で呼ばれるようになりました。

そのように戦い方が変化していく戦国時代で、そんな特徴的な足軽たちをまとめる立場が足軽大将だったのです。

出世物語の原点は?

足軽を指揮する足軽大将を務めていた豊臣秀吉。

どちらかというとまだまだ地位は高くない状態でした。

そんな豊臣秀吉ですが、実はその大出世物語の出発点とされるのも木下藤吉郎として足軽大将を務めている頃だったといいます。

豊臣秀吉の大出世物語の出発点として有名な出来事に、墨俣一夜城の逸話があげられます。

この話は織田信長が城を築くように家臣に築城を命令したものの、任せた人物たちがすべて城をたてることに失敗する中、まだ無名だった豊臣秀吉が見事たった一夜で天守がある城を築いたとして褒められる、という話です。

そして、そのことをきっかけにして豊臣秀吉は自らの地位を高めていきます。

そのため、この逸話の出来事こそが豊臣秀吉の大出世物語の出発点だといわれているのです。

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