豊臣秀吉のゆかりの地にある神社は名古屋のどこか

日本には豊臣秀吉に関係する神社が様々なところに建てられています。

その神社の中のいくつかには豊臣秀吉自身を神として祀っているところも。

さらに、そういった神社が建てられているのは何かしら豊臣秀吉に縁のあるゆかりの地。

数あるその神社の一つは名古屋にもありますが、名古屋もほかのゆかりの地に建てられた神社と同様に豊臣秀吉のゆかりの地であり、深い縁のある土地だったため建てられたのです。

では、豊臣秀吉ゆかりの地である名古屋は豊臣秀吉といったいどんな縁があり、どんな神社があるのでしょうか。

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秀吉がなりたかった理想の神とは

豊臣秀吉は自分が死んだ後には神となり、祀られることを望んでいました。

秀吉が病に倒れて残した遺言書からもその願望を読み取ることが出来ます。

日本で神といっても様々ですが、豊臣秀吉が望んでいたのは八幡神として祀られることでした。

わかりやすく言えば、八幡神とは武士が守護神として祀るようなイメージの神。

豊臣秀吉が望んでいたのは、そんな八幡神として自分が祀られることだったのです。

実際、現代では日本で豊臣秀吉のゆかりの地に豊臣秀吉をまつる神社がいくつも建てられています。

そのうち、名古屋にある豊国神社では出世、開運、茶道や建設などの文化の神として祀られているのです。

秀吉と名古屋にはどんなゆかりが?

日本で豊臣秀吉を祀った豊国神社はいくつかありますが、そのうちの一つは名古屋にあります。

名古屋は豊臣秀吉と縁の深い土地なのです。

実は豊臣秀吉の生誕地は尾張国愛知郡中村郷とされており、現代の名古屋市中村区に当たります。

その生誕の地に豊国神社が建てられたのです。

江戸時代は豊臣秀吉を祀ることは禁止されていたのですが、徳川氏を倒した明治政府が誕生すると、名古屋で豊臣秀吉を祀るための運動が盛んにおこなわれるようになりました。

その中には、当時の県知事も含まれていました。

豊臣秀吉を名古屋で祀ることは地域の願いでもあったのです。

名古屋にある豊臣神社にはそういった歴史があったのです。

また、その近くには「日吉」「豊臣」など、豊臣秀吉にちなんだ地名も多く、どれほど親しまれていたのかがわかります。

近くにはこんなものも!

豊臣秀吉の生誕の地というゆかりの地である名古屋ですが、豊国神社以外にも豊臣秀吉に関するものもたくさんあります。

例えば、常泉寺は加藤清正が豊臣秀吉を偲んで建てたお寺です。

さらにその境内には、豊臣秀吉が11歳の時に植えたという柊と秀吉産湯の井戸があります。

豊臣秀吉の生誕の地である名古屋には神社以外にもゆかりの地ならではのものが残っているのです。

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