日本有数の観光地として名高い京都。
この京都という土地は観光名所であるとともに、天下を取った豊臣秀吉のゆかりの地のうちの一つでもあります。
というのも、豊臣秀吉が晩年を過ごした土地こそ京都なのです。
そんな豊臣秀吉ゆかりの地である京都には、豊臣秀吉と関係のある神社がいくつもあります。
その神社とは一体どんなものがあるのでしょうか。
目次
墓所の近くにある神社とは?
豊臣秀吉ゆかりの地であり、晩年を過ごした土地でもある京都。
この京都には豊臣秀吉に関する神社がいくつも存在しています。
それだけではなく、豊臣秀吉の墓所もあります。
その墓所があるのは今日の東山にある阿弥陀ヶ峰です。
そして、その西の麓に豊国神社が創建され、豊臣秀吉が豊国大明神の神号で祀られていました。
しかし、この神社は一度徳川家康の命によって破却されてしまい、現在の豊国神社は明治になって建てられたものなのです。
加護のお礼に神社修復?
豊国神社以外にも、豊臣秀吉ゆかりの地である京都には豊臣秀吉がお世話になった神社があります。
そのうちの一つが伏見稲荷神社です。
この神社には、豊臣秀吉の母、なかが危篤に陥った時、延命を祈願するために豊臣秀吉が訪れたといわれています。
そして、その際願いを叶えてくれたら一万石を寄進すると約束したのです。
その後、神社では大掛かりな祈祷を展開したおかげか、豊臣秀吉の母は無事危篤を脱します。
このことにより、豊臣秀吉はあちこちが古かったこの伏見稲荷神社の本格的な修復を行います。
加護のおかげか豊臣秀吉の願いを見事に叶えた伏見稲荷神社。
無事に自分の願いを叶えてくれたお礼として、豊臣秀吉が選んだのはその神社の修復だったのです。
秀吉命名、その名は?
豊臣秀吉ゆかりの地にある京都の神社を2つ紹介しましたが、もう一つ、ゆかりの地にある京都には縁のある神社があります。
それが豊臣秀吉によって命名された満足稲荷神社、満足さんといわれる神社です。
伏見城の守護神である稲荷神を祀っている神社です。
豊臣秀吉は稲荷神を振興し、その霊験や恵みに感謝していました。
そのため、伏見桃山城に伏見大社の祭神を勧請し、この神社を建てたのです。
その時に豊臣秀吉が命名することになったのですが、稲荷神の加護に満足したためにこの満足稲荷神社と名付けたといわれています。
天下人、豊臣秀吉が信仰し、母の病気の際は病気平癒の祈願に訪れたり、その加護に満足したために満足稲荷神社という感情のままにつけられた名前があるなど、その歴史を知れば知るほど面白い神社が豊臣秀吉ゆかりの地、京都にはあるのです。