室町時代から江戸時代にかけて、日本で活躍していた忍者ですが、最近はアニメや小説に登場し、海外の人にもその名前を知られるようになってきました。
しかし、アニメや小説で登場する忍者は、実際にいた忍者とは全く違う存在として書かれていることもしばしば。
では、実際忍者とはどういう存在で、どんなことをしていたのでしょうか。
また、戦国時代の豊臣秀吉ととある忍者との間にあった因縁とは?
目次
忍者の仕事は?
忍者とは、室町時代から江戸時代にかけて領主や大名などに仕えた存在でした。
様々な地域に存在した忍者ですが、なかでも伊賀忍者や甲賀忍者が有名です。
忍者が実際に行っていた気になる仕事内容は、諜報活動に破壊活動、そして暗殺などであり、それらを仕事として請け負い、生活していたのです。
様々な仕事をこなす能力を持った忍者ですが、実はその中に豊臣秀吉を狙った忍者がいたと伝えられています。
石川五右衛門は忍者だった?
天下人として大きな力を持っていた豊臣秀吉。
しかしそんな豊臣秀吉を狙った忍者がいました。
それが有名な石川五右衛門です。
ただ、石川五右衛門は忍者といっても伊賀流忍者の里を抜けた抜け忍でした。
現代では抜け忍としてよりも大盗賊として名前が知られています。
一説によると、忍者である百地三太夫の弟子ともいわれているのです。
その石川五右衛門は1594年の8月24日に釜茹での刑で処刑されたのですが、捕まったきっかけが豊臣秀吉を狙ったことだったのです。
それも、時の権力者である豊臣秀吉を狙って大胆にもその寝所に忍び込んで捕まったといわれます。
しかし、実は捕まった経緯については諸説あり、他にも京都を荒らしたため豊臣秀吉の命を受けた前田玄以に捕らわれた、とも言われています。
大盗賊であり抜け忍でもある石川五右衛門と豊臣秀吉にはこんな因縁があったのです。
忍者であり職人だった?
豊臣秀吉の生きていた時代に存在していた忍者ですが、実は忍者ではなくても忍者の仕事をこなしていた人々もいました。
例えば修験者。
修験者は全国各地を自由に通行できたため、戦国大名はその利点を生かし、修験者達を情報収集や使者として使っていました。
修験者達は本来忍者の仕事の一つである諜報活動などをこなしていたのです。
また、他にも当時木造建築に携わる大工として番匠という職人軍団がいました。
この番匠も戦国大名達は忍者の役割をこなす者たちとして重宝していたとされています。
大工としての仕事だけではなく、大工ならではのその身の軽さを見込んで、時には忍びの役に使っていたのです。
さらに番匠は陣地づくりに役立ったので、戦いになくてはならない者たちでした。
戦国大名は合戦に番匠たちを連れて行っていたのです。
そのように、豊臣秀吉が生きていた時代では、忍者として生きていなくとも、時には忍者の仕事をこなしていた者たちがいたのです。