現代の日本でペットといえば犬や猫を思い浮かべる人は多いはず。
それほど犬や猫は現在の日本人にとってペットの代表格的な存在なのです。
しかし、猫はかつては今のようにペットの代表格ではありませんでした。
では、豊臣秀吉が生きていた時代は猫はどんな存在だったのでしょうか。
そして、現代まで伝わっている豊臣秀吉と猫の意外な話とは?
目次
猫は貴重品?
豊臣秀吉や織田信長が活躍していたころ、猫は今よりも貴重な動物として大事にされていました。
外国から輸入される動物として価値があったのです。
現代では放し飼いが一般的とされている猫ですが、当時は首輪をつけ、ひもにつないで飼うのが一般的。
しかし、猫といえばネズミ退治ですが、首輪をつけたうえ、ひもにつないで飼っているとネズミ退治の効果は期待できません。
そのため、豊臣秀吉はネズミ駆除に猫を役立てようと、首輪を猫につけるなと、とお触れを出すことすらしていたのです。
当時の猫の価値とその飼育状況は現代とは大きく違うものだったのです。
猫行方不明事件
ネズミ退治に役立てるため、猫に首輪をつけるな、というお触れを出した豊臣秀吉ですが、そんな豊臣秀吉自身も実は猫好きだったという話が伝わっています。
そんな豊臣秀吉が猫を大事にしていたことが伝わる話が現代まで残っています。
その話が分かったのは浅野長政が野々口玉兵衛にあてた手紙がきっかけでした。
その手紙には豊臣秀吉と猫に関わる少し面白い頼みごとが書かれています。
当時、豊臣秀吉は大阪城の奥で猫を飼っていました。
しかし、ある時その猫が逃げ出し、行方不明になってしまいます。
それが1593年のことでした。
豊臣秀吉は慌ててその猫を探しますが、猫の行方は全く分からないままでした。
そこで当時豊臣秀吉は奉行であった浅野長政にその行方不明となった猫の行方を捜させます。
しかし、行方が分からず、困り果てたのが猫捜索を任された浅野長政。
困り果てた末に同じく猫を飼っている野々口玉兵衛に手紙を出します。
その手紙では、野々口玉兵衛が飼っている猫のうち、一匹の猫を貸してほしい、という奇妙な頼みごとが書かれています。
その理由が、猫を借りているうちに行方不明となっている猫を探し出すから、というものでした。
その手紙からは、豊臣秀吉に猫捜索を頼まれ、うまくいかずに困っている姿が浮かびます。
周りを巻き込む猫騒動
この浅野長政が巻き込まれ、困らされた豊臣秀吉の大阪城猫行方不明事件。
このように周りすら巻き込む騒動に発展するなど、豊臣秀吉は猫を大切にしていたことがわかります。
当時、貴重な動物であった猫。
しかし、現代と飼育環境やその貴重さが違っていても、猫好きな人物の猫に対する愛情は変わらなかったのです。