豊臣秀吉の死因と天ぷらの関係は?

現在のように医学などが発達していなかった時代、亡くなった人の死因がわからないことはしばしばありました。

更に、それを現在突き止めようとしても、当時の史料も乏しく、結局のところ死因は何だったのかわからないことも。

実は、豊臣秀吉の死因も詳しくわかってはいません。

様々な死因が候補として挙がっていますが、なかには天ぷらの食べすぎが死因と噂されることもあります。

しかし、天ぷらの食べすぎが死因といわれる人物は別にいるため、豊臣秀吉の死因が天ぷらという説は眉唾物。

しかし、実は天ぷらを食べすぎたことが死因とされる人物と豊臣秀吉の死因には共通するものがあるかもしれません。

それは一体何なのでしょうか。

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天ぷらの食べ過ぎで死んだのは?

豊臣秀吉が天ぷらの食べ過ぎで死んだという説はおそらく徳川家康と取り間違えられたもの。

徳川家康こそ天ぷらの食べ過ぎが死因と噂されている人物なのです。

徳川家康の死因が天ぷらの食べ過ぎとはよく言われてきた説ですが、実はそれも間違った認識かもしれません。

というのも、徳川家康が亡くなったのは1616年の4月17日のこと。

しかし、肝心の天ぷらを食べたとされるのは1月に鷹狩りに出かけたその出かけ先なのです。

そこから腹痛が起こり、亡くなったといわれていることが、徳川家康の天ぷら死因説の根拠ですが、亡くなったのは4月の事。

天ぷらを食べ、亡くなるまで3か月もの時間が流れているのです。

そのため、実は徳川家康の天ぷら死因説もかなり怪しい立場に立たされています。

死期を早めたのは家康自身?

徳川家康は自分で薬品を調合し、万病丹などと名付けたものを使って健康を維持していました。

今でいう健康マニアだったのです。

しかし、そんな徳川家康の自分の知識への過信が死期を早めたかもしれません。

というのも、調子が悪くなり、医師、片山宗哲が薬を用意しても自分で調合した虫下しの薬ばかりを使っており、忠告を聞く耳を持たなかったのです。

挙句の果てには、医師が将軍に説得して薬を飲んでもらおうとしたため、流罪にしてしまうのです。

実は徳川家康の症状を見ると、胃がんが死因ではないかともいわれています。

徳川家康の、虫下しの薬を飲めば治るという考えは間違っており、医師の忠告を聞く耳を持たなかったことで自分の死期を早めたことは十分考えられることだったのです。

秀吉の死因と家康の死因

徳川家康の死因が胃がんとすると、豊臣秀吉と思わぬところで共通点があるかもしれません。

豊臣秀吉は1598年に行われた醍醐の花見の後、床に伏して亡くなっていますが、その死因もいまだにわかってはいません。

現在では様々な死因説が流れていますが、亡くなる前の症状から見てがんが死因だったという説があるのです。

天下人となった豊臣秀吉、そしてそのあとに権力者となった徳川家康は実は同じ死因だったのかもしれないのです。

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